明治時代の人が考えた「税とは何か」

私たち税理士会がおこなっている租税教室では、「税とは何か」という問いに対して、
「税金は社会の会費のようなものです」と説明しています。
先日、明治時代の地租改正を扱ったテレビ番組を見ていたら、この説明と非常によく似た考え方が、すでに明治の初めにあったとのことでした。

地租改正という大きな転換点

明治新政府は、それまでの「年貢」、つまり米そのものを納める現物納付の制度から、
金銭で税を納める制度へと大きく舵を切りました。
これが、いわゆる地租改正です。
地租改正では、土地の価格(地価)を定め、その地価の3%を地租として金銭で納付することになりました。
農民にとっては、収穫した米を売って現金化し、その中から税を納めるという、生活の仕組みそのものが変わる大改革だったと言えます。
この改革の背景には、近代国家として安定した税収を確保するという、新政府の切実な事情がありました。

大蔵省人民告諭書での「税とは何か」

こうした租税の大改革にあたり、大蔵省は国民に地租改正の趣旨を説明するために「大蔵省人民告諭書」と呼ばれる文書を起草しました。
この人民告諭書に「租税とは何か」を説明している箇所があります。

「政府は人民一統の好むところにしたがいて、その好むところの目的を達せしむる設けたる役所」「(好むところとは)盗賊、戦争の憂いなく外国人の侮りを受くることなく、強き者も弱き者をしのがず、富たるものも貧しきものをしいたぐることなく、安穏無事に生業を営まむ」「この割合金を名付けて租税という」

何を言っているかというと、
政府とは、国民皆が「好む所」という目的を達するために設けた役所である。
「好む所」とは、盗みや戦争の憂いなく、外国人の侮りを受けることなく、強者が弱者をおびやかすことなく、金持ちが貧しい人々を虐げることなく、誰もが安穏無事に生活や事業を営める世の中のことである。
そうなるために使うよう人民が皆で出し合う割合金を、名付けて租税という」という趣旨です。

租税教室での「税金は、私たちの生活に欠かせない道路や学校、医療福祉などの社会資本整備や公共サービスに必要な社会共通の会費のようなもの」という説明に驚くほど似通っています。
明治の初めに、このように現代的な考え方が示されていたことに、驚きと興奮を覚えました。

この「税とは何か」は国民に公表されなかった

しかしこの人民告諭書は、このまま起草された内容で広く国民全体に公表されることはありませんでした。
この「政府は人民のためにある」という発想は、欧米の市民革命の思想の影響を受けたものと考えられます。
一方で、当時の新政府にとって、この考え方は不都合なものであったろうとも思われます。
地租改正の当初は、地租の基準になる地価は農民の自己申告によっていました。
しかしそれでは税収が政府の想定に届かなかったため、政府が目標とする地価になるよう是正されるようになりました。
これにより農民の負担が増し、各地で地租改正反対一揆が頻発するようになりました。
こうしたことも人民告諭書が公表されなかった一因でしょう。

新政府の役人たちは、欧米の市民革命の考え方の影響を受け、現代にも通じるかなり先進的な考えを持っていたようです。
一方、欧米の考え方についていけず、急速な近代化に不安を抱く国民も多かったでしょう。
また、急いで欧米列強に追いつき、近代化していく必要もあった当時の日本の指導者たちにとっては、ある意味不都合な考え方でもありました。
トップダウンで税金を徴収してしまった方が貴重な時間を費やさずにすむという意識が働いたと思われます。
こうして税金は、年貢時代と同じように「お上に取り上げられる」イメージができてしまっているのではないかと感じました。

令和の「税とは何か」はどうだろう

当初の起草どおりの告諭書が公表され国民に共有されていたら、令和の私たちの税金に対する感情は変わっていたでしょうか。
税は、社会の一員として社会を維持するために負担するものであり、国民はそれが社会全体のために使われるように要求する権利があります。
同時に、集める側も「公正簡素」なしくみになるようにするのが本来のありかたです。
そのような意識が自然に根付いていたでしょうか。

令和の税制改正を見ていると、基礎控除の区分が細かくなるなど、制度は年々複雑になっています。
この複雑さが、社会全体にどのような影響を与えるのか、疑問を感じる場面も少なくありません。

日々、税理士として多くの納税者の方と接していると、税に対する考え方は実にさまざまだと感じます。
「できるだけ税金は払いたくない」という人もいれば、「何のために払っているのか、よくわからない」という人もいます。
税金は、国と国民の間にある制度ですが、日々それと向き合っているのは、一人ひとりの生活です。
私たちは、制度を押しつける側でも、ただ節税だけを目的とする存在でもなく、納税者の立場から制度を読み解き、納得できる形で税と向き合うための伴走者でありたいと考えています。